私といけばな
今回の杜若のスペシャルレッスンを受講し、むか~し昔、又木で杜若を生けた苦い経験を思い出しました。
母が池坊を教えていたので、(中学生だったか)高校生の頃から、ある意味当たり前の様にお稽古を始めました。自分が好きで始めたのか、と言えば、最初はそういう事でもありませんでした。好き・嫌い、という事ではなく、ごくごく「普通の事、生活の一つ」だったのです。常日頃、母は「幾つになっても続けられるものを身につけなさい」と言っておりましたが、正直、全然ピンときておりませんでした。
結婚し、海外で生活する機会が何度か有り、初めて、今まで考える事も無かった「日本の文化であるいけばな」を認識致しました。「誰誰さんの奥様」「何々ちゃんのお母さま」というくくりの駐在主婦の中、私には「池坊を勉強してきた松谷さん」という代名詞が付いたのです。とても狭い日本人コミュニティーの中、この代名詞は私の海外生活をとても豊かにしてくれました。外国人の友人を自宅へ招く際は、生花や自由花を生けてお迎えしました。片言の外国語でも、この1瓶が会話を豊かにしてくれました。
海外で初めてお教室を持つ事になった時、最初の頃は、母に確認する為に国際電話代が毎月××万円・・・今まで習う事が当たり前だった私が、教える?無謀な事だったのです。でもその時に「人に教えるという事は、自分が学ぶ場だと思い、この機会に感謝しなさい。人様に教えることで自分が分かっていない事がはっきりしますよ、そこでまた学ぶ事があなたのプラスになるのでしょ。その代わり責任をもって挑戦しなさい。」 と励ましてくれたのも母でした。自分の意志もなく続けていた事が、ガラッと変わることになったのです。
東南アジアでは1年中、同じお花しか手に入らず、四季のある日本とは違う環境でした。枝物が手に入らず、松が植わっている家をアポなしでピンポンし、分けて頂いた事もありました。今思えばそれもまた、とても良い経験でした。
自分が意志をもって「学ぶ」という事が不足してきた私でしたが、上海で三浦友馨先生のお教室に通う事が出来たことで「自ら学ぶ」事の大切さを、そして「経験を積む」事の大切さを思い知りました。
帰国後に森先生のお教室で「学ぶ」機会を頂きました。先生のお人柄、先生の常に前向きなお姿に触れることで、単に「お花を生ける事を学ぶ」だけではなく、
「自分の生き方、考え方を学ぶ」という貴重な「学ぶ」をさせて頂いております。「技術を学ぶ」事は勿論大切なのですが、それに加えて「出会い」が自分をより豊かに成長させてくれると思っております。
母が言っていた、「幾つになっても・・・・」との教えに今はとても感謝しています。そのすべてに「いけばな」が関わっている〝今″に、そしてこんな私を受け入れて下さった森先生に感謝しております。
長くなりましたが最後に、支所になられた事へのお祝いと支所の皆様とのご縁に寄せて。
松谷 敬子
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敬子様
素敵なエッセイのような文章 感激いたしました
御母様も 素敵な池坊人でいらっしゃり 見守ってくださる人生の大先輩 温かなお人柄を感じます
心から感謝申し上げます敬子さまも 今後も 海外とのいけばな交流の要として益々活躍されますよう 私も精一杯応援したく存じます!